29『立ちはだかる魔導兵器』



 かつては敵として闘った事のある二人が闘う。
 技量は互角、足を引っ張る事もない。

 相手の事を知り尽くしているが故に、
 何かをして欲しいと、期待する事ができる。
 相手の期待を理解し、応える事ができる。

 そうして、二人が協力する事の強さを知った時、
 どんな厚い壁も二人の前に砕け散らずには終わらない。



 果てしないと思われるほど長い廊下をジェシカとカーエスが駆けていく。運動能力で劣っていたティタが抜けてからはそれこそ全力で。
 ジェシカはいくら走っても姿を変える事のない廊下に焦りを覚えながら、隣を走るカーエスを盗み見た。自分と同じ速度で、同じ距離を走っても息が乱れている様子は見受けられない。意外と体力はあるようだ。
 彼女自身は、元々は名誉あるカンファータ魔導騎士団の副団長。栄光に輝く表面からはとても想像できない訓練をくぐり抜けてきているので、決して軽くはない軽甲冑を着込んでいようとあと二刻(六時間)は余裕で走れるだろう。
 カーエスは魔導研究所出身でどちらかというと文官らしい雰囲気があったので、自分とは違って布の服のみという服装とはいえ、それでも自分についてくる体力を持っているようには思えなかった。普段の情けない姿からはとても想像が出来ない。
 普段は隙だらけのカーエスだが、今は正直どこから攻めていいものか分からない。それに今のカーエスの真剣な面構えを見ていると、魔導学校のラウンジに初めて行った時に見たカーエスの後輩達からの人気も頷ける。

「な、何やねん、人の顔をジロジロ見よって」
「貴様の普段との今とのギャップに頭を悩ませていたところだ」

 不自然な視線に気付き、迷惑そうな顔をして聞くカーエスに、ジェシカは正直にそう答えた。
 その答えに、カーエスはにやりと口元に笑みを浮かべて答えた。

「ギャップは男の魅力やって言うからなぁ」
「馬鹿じゃないのか」

 意外に冷たく返されたカーエスは顔をしかめて見せる。

「あ、今の傷付く」
「貴様がそんなタマか」

 再び、呆気無く返され、カーエスは落ち込んだように顔をうつむけた。

(よくそんなにコロコロと表情が変わるものだな)

 半ば感心にも似た気持ちで、ジェシカは心の中で呟いた。
 カーエスは喜怒哀楽の移り変わりが激しい。が、ジェシカはそれが人前でだけの態度である事に気が付いていた。夜の見張りなどで、一人でいるところを覗いたところがあるが、その時のカーエスは驚くほどに無表情だ。
 人間誰しも一人の時は表情が影を潜めるものだが、リクはいろいろ考えている事によって表情が変わるし、フィラレスだって、普段から無表情ではあるが、やはり表情に変化はある。時々、リクの事を考えて顔を紅潮させて微笑みを浮かべるのが、最も顕著な例であろう。コーダは一人だろうが人前だろうが変わらずに柔和な笑みを浮かべている。それはそれで怖いものがあるのだが。
 カーエスは一人の時、不自然なまでに表情を変える事がない。ただ、周囲に警戒の網をはり巡らし、黙っているだけ。今走りながら見せている表情のように真剣で、そして隙がない。普段、おどけているのがまるで嘘のように。
 否、ジェシカは半ば確信している。普段のカーエスは、彼自身が演じている偽りの人格。一人になったときのように、真剣で無表情なのが素のカーエスなのだ。

 ジェシカにはカーエスという人間が分からない。
 リクは、表も裏もなく感情を表に出す人間だ。フィラレスも然り。自分も、己を理解している限りは、素でもってそれぞれに接しているつもりだ。コーダは、明らかに自分を隠しているが、表に出さないだけで、隠している事自体は隠さないし、表に出している部分は偽りではない。
 カーエスだけが、偽っている。彼にとって、自分達四人は信頼のおけない人物ではあるまい。何を考えて自分の素を隠して接しているのか。彼が表に出している事全てを嘘と否定すると、彼に真実は残らなくなる。
 そうすると、“何”がカーエスという人物なのか分からなくなる。

 これは、本人にも気が付いていない事なのかも知れない。
 もし、知らないのだとしたら、それを知った時、“自分”が全て自ら作り上げた嘘であることを自覚した時、

 “カーエス”という存在はこの世から消えてしまうかも知れない。

(何を……馬鹿な想像を)

 あまりにただ走り続けるのが退屈で、余計な事を考えてしまったようだ。
 そういう事にする。

(だが、いつかリク様に話してみよう)

 想像されている本人には悪いが、疑問に思った事には違いない。もし、カーエスでなくても、そんな人間がいるとしたら、その人物の素はどこにあるのか、自分はその人間にどう接すればいいのか。
 彼なら答えを持っているかも知れない。少なくとも答えへの導き方を知っているかも知れない。いつも通りの単純明快な答えで。
 その為には、まず彼の命を助けなければならない。



 ちょうど思考を終えたところで、二人は廊下の端に当たる場所に一枚の扉を見つけた。ハンドルを回して開けるタイプの重い扉で、自分達が通ってきたルートの機密性から考えると、廊下側からしか開かない仕組みになっているに違いない。そして、向こうから見れば、扉は扉とも判らない。
 カーエスがハンドルを回し、ジェシカが蹴り飛ばすようにして開ける。その向こうには、ちょうど各棟のラウンジほどの広さの部屋があった。その広さに反し、やたら頑丈そうな印象のある壁、そして大きな壁に対しぽつんと小さく存在する、丸い金庫扉以外のものは見当たらない。

「随分と空間無駄にしとるなぁ」と、カーエスがのんきそうな声で感想を述べると、ジェシカはそれを咎めるように言う。
「しかし可笑しい。ティタ殿の話では自動防衛用の魔導兵器が配置されているはずだが」

 直ぐに金庫扉に駆け寄らないところを見ると、カーエスの方もその事に関して疑問に思っていたようだ。二人は、今までの駆け足とは違うそろそろと警戒に満ちた足取りで“忘却の間”への扉に近付く。
 扉まであと数メートル、というところで、突然二人の足下で魔法陣が発動した。同時に二人は後ろに飛び退く。取りあえず魔法陣の外に出た二人が呆然と見ている前で、魔法陣から何かがゆっくりとせりあがってきた。

 それは、一見すると刺が至る所に付いた半球体だった。
 正面の、“口”に当たるであろう部分には、小さな端末とモニターが付いている。
 おそらくこれが噂の魔導兵器なのだろう。

『“忘却ノ間”立入許可証ヲ オ見セ下サイ』

 人間味の薄い声がその半球体から発せられた。
 思わず、二人は顔を見合わせる。立入許可証など持っているわけがない。

『繰リ返シマス。“忘却ノ間”立入許可証ヲ オ見セ下サイ。10秒以内ニ提示出来ナイ場合、不法侵入者ト見ナシ攻撃ヲ行イマス』
「ソンナニ 待タナクテ イイデスヨ」

 カーエスは魔導兵器の口調を真似て答えると、即座に魔導を開始した。これほど大掛かりな魔導兵器なら、魔法耐久度も相当なものだろうが、五秒も待ってくれたなら、レベル7の魔法を余裕で放つ事ができる。
 ジェシカも、同じ事を考えたようで、槍を構え、呪文を唱えている。

『魔導流ヲ感知。自立式防衛用魔導兵器“ディージー”、認証モード、終了。侵入者排除モード、起動中……』
「え?」

 カーエスが魔導を中断して顔をあげる。

『始動』

 同時に、その防衛用魔導兵器“ディージー”の全身から生えていた刺だと思われるものが触手のように伸び、カーエス達に襲い掛かってきた。
 無数の尖った触手がカーエスとジェシカに四方八方から取り囲む。
 カーエスはジェシカの前に移動すると、物理防御障壁を構成すべく呪文を詠唱しはじめた。

「防ぐな、返せ《弾きの壁》っ!」

 しかし次の瞬間、カーエスの目が見開かれる。

(魔法が発動せえへんっ!?)

 もう何をするにも間に合わず、カーエスは後方に飛び退きながら、極限まで身をねじって襲いくる触手をかわす。
 だが、数が無数の触手を全てかわす事は叶わず、刺される事はなかったが、かなりの数の触手がカーエスの身体を引っ掻くようにかすっていき、傷つけた。

「くっ……!」

 触手の勢いは相当なものだったらしく、かすっただけでもカーエスの身体が後方に吹き飛ばし、カーエスは後ろにいるジェシカと一緒に仰向けに倒れた。

「何をやっているんだ、貴様は!?」

 下敷きにされたジェシカが、怒鳴ると、カーエスはすぐさま立ち上がり、ジェシカに手を貸して立たせる。

「よう分からんが、とにかく魔法が発動せえへん。しばらく魔法は使わんほうがええ」と、ジェシカに耳打ちし、自分の掛けている眼鏡を外して続けた。「多分何かの魔法効果なんやと思う。俺の“眼”で探ってみるよって、しばらく防御だけに専念しといてや」

 ジェシカは頷くと、“ディージー”に向き直った。とたんに襲い来る触手を、ジェシカは槍と見事な体さばきで触手をかわす。
 カーエスの方も、魔法が使えないと分かっていれば、数が多いだけで、ただただ自分の方に向かってくるだけの触手をかわすのにあまり難はない。攻撃には波があり、一度攻撃が済めば、“魔導眼”を使って、“ディージー”がどんな能力を有しているのか、解析するのには十分な隙が生まれるのだ。
 いざ、“魔導眼”を防衛用魔導兵器に向けてみて、カーエスは再び戦慄する。

(“眼”の能力も使われへんようになっとる……)

 魔法が使えず、魔法の使用を禁じている効果を解析するにも“魔導眼”が使えない。
 つまり、現在“ディージー”の前に、カーエスは完全に無力化されていた。

 自分の現在の状況に思考を巡らせた時点で、カーエスはぶんぶん、と頭を降り、否定的な考え方を吹き飛ばす。

(“眼”ェなんぞに頼らんでも、まだ考える事はできる……!)

 強い意志を込めて、カーエスはきっ、と“ディージー”を睨み付けた。そろそろ次の攻撃に入るはずだ。

 魔法の使用を妨げる方法は主に二つ。魔導を妨害するか、それとも、魔力を封じるか。前者ならば、“ディージー”自体に、“魔導を感知した瞬間に魔導を妨害する能力”が備えられている可能性が高い。後者の場合、この部屋自体に、魔力を封じる効果が秘められている事が考えられる。
 おそらくは、前者。“ディージー”が侵入者排除モードに入ったのはカーエス達がこの魔導兵器を破壊すべく魔導を開始したのを感知したからだ。
 しかしそれでは解せない事がある。魔導を妨害された場合、魔導を行うカーエス達にも妨害された事を感じる事ができるはずだ。少なくとも《弾きの壁》を使用しようとした時、カーエスはそれを感じず、きちんと魔導を完了させた。だが、発動しなかったのだ。

(これは妨害やない。それに近い何かなんや)

 そこまで考えた時、カーエスは“ディージー”の動きが先ほどまでのパターンとは違う事に気が付いた。
 今までならば、カーエス達に向かって伸びてくるはずの触手が、今はただ本体の周りを漂うようにうねうねと動いている。だが、カーエスはそれぞれの触手の先端に魔力が集められて行くのを感じた。

「う、げっ……!?」

 カーエスが驚きに顔をしかめた次の瞬間、“ディージー”を中心に全方向に向かって衝撃波が放射された。
 魔法を奪われているカーエスにはそれを防ぐ手立てはなく、まともに喰らい、後ろの壁まで吹き飛ばされてしまう。
 範囲の広い攻撃である分、攻撃力は少なく吹き飛ばされるだけですむ攻撃だが、カーエスは背中から強かに壁に打ち付けられ、しばらく動けない状態になってしまった。

 そこを狙ったのか、“ディージー”の触手がひと束に束ねられ、その先端をカーエスに向ける。そして、その先端には再び魔力が収束して行く。
 今度は効果範囲が狭い分、強力な光線でも発射して動けないカーエスに止めを刺そうというのだろう。

「や…ば……」

 やがて想像通りに光線が発射され、カーエスに向かって白い光の槍が伸びて行く。

 しかし、それがカーエスを貫く直前、ジェシカがカーエスを突き飛ばし、かろうじて、彼は止めを刺される事だけは逃れられた。
 ジェシカは、先ほどの衝撃波を上手くさばいてカーエスのように行動不能になるのを避けられたのだ。

「……おーきに」

 危機一髪の状況から生き残った事に対する安堵感から息を乱しながら、カーエスが礼を言うと、ジェシカは取りあえず彼に手を貸して助け起こしてから言った。

「礼は要らん。私も何度か試したが、やはり魔法は使えないようだ。“魔導眼”で何か分かったか?」
「いや、“魔導眼”も使えんかった」

 カーエスが頭を振って答えると、ジェシカが大きく息を付く。

「……そうか。貴様はしばらく休んでいろ。しばらく私があの魔導兵器の相手をする。物理的な攻撃なら何とかなるかもしれん」

 そう言うと、ジェシカは槍を構えて、“ディージー”を見据えた。
 そんな彼女に向かって防衛用魔導兵器は触手を伸ばす。

 彼女はそんな触手に恐れを見せる事もなく、自分に襲い掛かってくる触手に向かって走り出す。
 牙を向いてくる触手の刺を、すれすれでかわして受け流し、ジェシカはさらに“ディージー”本体に肉迫する。
 見たところ、彼女が向かっているのは、“ディージー”の正面。一番目だっているモニターの部分だろう。他の装甲部分では、魔法無しに貫く事は叶わないだろうが、モニターの部分ならある程度のダメージは与えられる可能性はある。
 正面に回ったジェシカに対する攻撃がさらに激しいものになった。まるで、守備力の薄いところを守ろうとしているかのように。

「貫けェッ!」

 激しい攻撃をかいくぐり、辿り着いたモニターの正面、ジェシカはかけ声を上げながらモニターに向かってその槍穂を伸ばす。

 しかし、その穂先は魔導兵器を捕らえる事はなかった。

 モニターに届く直前で槍が進まなくなったかと思うと、彼女の槍に込められた力に抵抗する斥力が感じられる。
 その次の瞬間、ジェシカは後方に思いきり弾かれた。せっかく苦労してモニターの真正面まで行き着いたのが、一瞬にして、反対側の壁まで吹き飛ばされる。

(《弾きの壁》……?)

 自分も似たような効果を持つ物理防御魔法を頻繁に使用する為、まず連想したのが、その魔法だった。もちろん同じ魔法ではないだろうが、取りあえず、モニターを狙う敵に対する攻撃を激しくする事で、モニターが弱点だと思わせる。そして敵がモニターを攻撃すれば、あの防御魔法が発動する。考えてみれば簡単なフェイントだ。
 それに《弾きの壁》程度の障壁ならば、破る事はそう難しいではないが、それは魔法が使えたらの話であり、魔法無しでは絶対に不可能だ。つまり、魔法も物理攻撃も通用しない今、“ディージー”を破壊する方法が皆無なのである。
 ティタが言っていた、どんな魔術師でも勝てないという噂を思い出す。確かに、実際に闘っている今、かなり絶望的な気分にさせられている。

「こないなシロモン作ったヤツ、とんでもない根性悪やな」

 自分を奮い立たせる為に、毒づいた彼ははっ、と顔を上げた。こんなに容赦のない魔導兵器が吹き飛ばしたジェシカを放っておくはずがない。
 見てみると、案の定“ディージー”は、ジェシカに向かって触手を伸ばしていた。ジェシカは吹き飛ばされた時のショックで脳震とうでも起こしたか、ぐったりとして動かない。
 反射的に、カーエスは駆け出した。自分も少なからず傷付き、身体が軋むが、そんなものには構わず、全力で走った。
 一見すれば、触手の方が速い。このタイミングでは自分も巻き添えを食ってしまいそうなものだが、それでもジェシカを見捨てるわけには行かない。人の命を助ける為の行動だ。それで人の命を失われれば、意味が無くなってしまう。

「こなくそぉっっ、間に合えぇっっ!」

 カーエスは、声の限り叫ぶと、倒れているジェシカに向かって飛び込んで行く。視界の端には襲い来る触手が見えるが、それが彼を怯ませることはない。
 火事場の馬鹿力というやつか、最初はとても間に合いそうに見えなかったのが、なんとか触手がジェシカに止めを刺す前に抱き上げ、その場から飛び退く事が出来た。

 だが、それで魔導兵器の攻撃が終わったわけではない。ぎりぎりカーエスを掠めて通り過ぎた触手は、ぐるりと大回りして再び彼等を襲ってくる。
 それをみたカーエスは顔をしかめる。とてもじゃないが、ジェシカを抱えたまま、あの数の触手を避け切るのは無理だろう。
 どうにか出来ないかと、周囲を見渡した彼の視界にあるものが目に入る。

 もしかして、とカーエスは思い付いた事があった。しかし、今、それを試すのはほとんど賭けだ。だが、今はその賭けに身を預ける他に自分達の安全を確保する手段はない。
 一瞬にも満たない逡巡の後、カーエスは目指すところに向けて走りはじめた。その後ろから、触手もカーエス達の後についてくる。カーエスは後ろを見る事なく、ただ一直線に走った。
 どんどんと目的地が近付いてくる。触手が動かす風が背中に当たるのを感じ、ほとんど触れるか触れないかの位置まで近付いてきている事が分かる。
 カーエスは、届くか届かないかの位置から目的地に向かって跳躍した。

 目的地、カーエス達がこの部屋に辿り着くまでに通ってきた部屋に転がり込んだカーエスは、ジェシカを寝かせると触手が迫ってきていたはずの背後を振り返った。
 そこでは、触手が旋回して、戻って行く様子にカーエスは自分が賭けに勝った事を知り、更にある事実に気が付いた。

「……見えた」



「んっ……」と、ジェシカは小さなうめき声を上げて目を覚ました。

 次の瞬間、自分が何故気を失っていたのかを思い出し、ジェシカは跳ねるように身体を起こした。
 彼女の傍で膝を付いているのはカーエスだ。

「あの魔導兵器は!?」と、ジェシカは問うが、カーエスは聞こえていないかのように、動じない。
 カーエスは興味深げに何かを眺めており、その彼の視線を辿って行くと、そこには“ディージー”が彼等を待ち構えるように佇んでいた。
 槍があの魔導兵器を捕らえられなかったことは分かっていたのだが、ああも無傷な姿を見せつけられて、ジェシカは絶望的な気分になった。

「ああ、目ェ覚ましたんか」

 今頃、気が付いたようにカーエスが、ジェシカを振り返る。
 先ほどまでの、焦りに濁ったそれとは違う、何もかもを見透かしてしまいそうな、澄んだ蒼い眼を向けられ、ジェシカはぎくり、とした。

「貴様が助けてくれたようだな。……礼を言う」
「お互い様やな。俺も助けられたし」と、カーエスは、明らかに無理をして固い表情で礼を言うジェシカを見て、苦笑する。
 そんな笑顔を見せるカーエスに、ジェシカは、“ディージー”を一瞥して尋ねた。

「随分とのんきそうな顔をしているが、“あれ”を壊す算段でもついたのか?」

 彼女の問いに、カーエスは自信ありげに頷いた。

「ああ、あの魔導兵器の能力は見切ったで」



 禁術破りを実行しようとした者がいるという話は聞いたことがない。しかし、いないはずはない。そして禁術にされるくらいの魔法を盗み出せば、騒ぎにならないはずがない。それなのに成功したという話を聞かない。つまり、今まで誰一人として無断で“忘却の間”に足を踏み入れたことのある者などいないのだ。
 その大きな原因と考えられるのが、目の前の防衛用魔導兵器“ディージー”だ。それが起動した時にはもう魔法が封じられ、この兵器の火力に対抗する術がなくなる、そして物理攻撃に対する対策も抜かりない完全無欠の魔導兵器。
 しかし、“ディージー”が無敵でいられるのは、ある条件の下のみ。

「その条件というのが“半径十メートル以内”。つまり、限られた範囲の中の敵にしか通用せえへんのや」

 その範囲内には部屋がすっぽり収まってしまう為、部屋の壁が敵の行動範囲を制限してしまい、安全な範囲外まで逃れることを禁じてしまっているために、それに気が付かなかったのだ。実際に、部屋の外に出て、廊下に転がり込んだカーエス達を、“ディージー”の触手は追撃しなかったのだ。
 “ディージー”が侵入者排除モードに切り替わった時点で、本来の入り口は閉じられてしまっている。こちらの廊下は隠れ通路だったために、“ディージー”の制作者の考慮には入らず、なんとか範囲外への逃げ道が存在できたわけだ。

「……魔法が使えないことへの説明は?」と、自分達のいる廊下を通ってこなかった場合の事を考えて、少し顔色をなくしたジェシカが促すと、カーエスはこくりと頷いて続ける。
「それや、それがこのクソ忌々しい魔導兵器の真骨頂なんや」

 一定の範囲内であるとはいえ、魔法は完璧に封じられていた。魔法を封じる方法は先に上げた通り、主に二つ。魔導を妨害するか、それとも魔力自体を封じるか。その両方ではないことは明らかだった。魔力を動かせるかどうかは感覚で分かる。そうでなかったのだから、まず後者は否定される。
 そして、カーエスはきちんと最後まで魔導を終えたはずだった。妨害が成功した時点で術者は半ば強制的に魔導を中断しなければならなくなる。それがなかったということは、妨害もされていないということになる。

「まあ、それは飽く迄も“範囲内”の話やからな。取りあえずここからなら魔法も使えるし、“魔導眼”も使えるようになっとったんで、お前がちょっと気ィ失うてる間にいろいろ見とったんやけど……」
「ちょっと待て」と、ジェシカがそこでカーエスの解説に口を挟んだ。「範囲外なら魔法が使えるのなら、ここから遠距離用の魔法を打てばいいのではないのか? たった十メートルだ。届くだけじゃなく、破壊力も十分ある魔法を貴様が使えんとは言わせんぞ」
「それができるならお前が起きるまで待っとるなんて悠長な真似はせえへんよ」

 “魔導眼”も所詮は魔力を用いて発動している能力である為、範囲内では使えなかったが、範囲外では使えた。それは魔法も使えることをも意味しており、それに気付かないほどカーエスは愚かではない。
 試しに、一発軽いのを放ってみたのだが、それは範囲内に入った瞬間、煙のように雲散霧消してしまったのだ。普通なら驚くだけだが、その時のカーエスには“魔導眼”が復活しており、何が起こったのか、一部始終を確かめることが出来た。
 そして彼は“ディージー”という魔導兵器に付与されている能力を全て悟った。

「あれは、“動いている魔力を吸収する”能力や」

 封じるのでも妨害するのでもない。魔導として動かしている魔力を吸収し、発動する瞬間には動かしている魔力が魔法として発動するには不十分な量になってしまっているのだ。

「だから、発動までこぎつけても魔法は発動せえへんかった。範囲外から撃った魔法もあの魔導兵器に届く迄に魔力として吸収されてしもたんや」

 カーエスが出した結論に、ジェシカは眉を潜めた。範囲外からの魔法が使えれば、何とかなりそうだと思っただけにそれが駄目となるとやはり打つ手がないように見える。
 しかし彼は、それがあるかのような余裕の表情をしている。

「それで、私はどうすればいい?」

 カーエスはジェシカが起きるのを待っていたという。つまり、自分の力が必要なのだろう。彼が分かっていて、自分が分からず、カーエスに主導権を握られているのは正直不本意だが、リクの命が掛かっているこの際、意地を張る意味はない。
 カーエスは頷いて、答えた。

「吸収は厄介な能力やけど、その分、魔導難度の高い能力や。封印や妨害と比べると意外と限界が低い。フィリーがおったら、吸収し切れん“滅びの魔力”で片付けてまうところやけど、おらんのはしゃーない。今回は吸収する“速さ”の限界を突く」



 ジェシカは、廊下と部屋の境目ギリギリの所に立ち、槍を構えた。正面にいるのはもちろん、“ディージー”である。大きな部屋の中にぽつんと存在するそれは、今は触手を収めており、先ほど闘っていた時から考えると意外なまでに小さく見える。
 緊張した面持ちのジェシカに、カーエスが横から言った。

「ええか、もう一度確認するで。今から突くのは奴の要である吸収能力を実現させとる魔導器や。意外と小さいからおおまかに教えるだけでは場所が分からんよって、俺が印をつけに行く。その印から垂直に槍を突き立てるんや」
「分かった」

 ジェシカが息を大きくつきながら頷くのを見ると、カーエスも“ディージー”を半ば睨み付けるように見据え、深呼吸した。

「ほな、行ってくるわ」

 カーエスはもう一度大きく息を吸い込むと、息を吸い切ったところでぴたりと止めた。次の瞬間、カーエスは“ディージー”に向かって飛び出して行く。
 それと、ほぼ同時に彼の魔力を感知した“ディージー”は彼に攻撃を加えようと触手を伸ばした。

 攻撃の第一波が、カーエスの目の前に迫った。
 彼は、少しだけ跳躍し、触手を上に引き付けると、ギリギリ前に着地し、わずかに開いた下の隙間を転がるようにして攻撃をさける。その際、やや左前に転がり、そのすぐ後ろに迫っていた第二波の触手達を左側に誘導し、今度は右に跳んでかわす。
 カーエスはジェシカほど白兵戦が得意なわけではない。しかし彼女のように軽甲冑を着込んでいるわけではないので、このように身軽に動く事ができるのだ。

 だが、カーエスが向かっているのは、先刻ジェシカも突撃を実行した“ディージー”本体の真正面に近いところで、その分攻撃は激しい。しかも、最初の二波とは違い、随分攻撃も複雑化している。
 そして、避け切れなかった触手が遂にカーエスを捕らえる。

「カーエスッッ!」と、魔導兵器の触手がカーエスの脇腹を掠めた瞬間を見たジェシカが彼の名を叫ぶ。

 彼は、傷付いた脇腹に手をやると、目の前に存在する、触手達の間のわずかな隙間に飛び込み、ようやく目的地に到達した。
 カーエスは自分の記憶と、今目の前にあるものを比べて確認すると、自分の手の平で張り手でもするように“ディージー”本体の正面左脇あたりを叩いた。後には、脇腹に手をやった時に付いた血の後が残ったのを、ジェシカははっきりとその眼に捕らえた。

 その瞬間、ジェシカは詠唱を開始する。
 本当は一度攻撃が終わるタイミングを待つ予定だったが、カーエスはもう動けまい。そのカーエスを、触手が狙いをつけている。

「猛者たる条件は《強力》、魔力よ、理力の源となりて我を猛者と成せ!」

 彼女の筋力を一定時間高める魔法《強力》の光が彼女の身体を包む。更に、彼女は続けて、《一時の怪力》を二度唱え、全身に力がみなぎるのを感じる。
 今、彼女の筋力は限界まで高められた。

 防衛用魔導兵器“ディージー”の吸収能力は厄介だが、一瞬で魔力を吸い尽くされてしまうわけではない。人が飲み物を飲む速さに限界があるように、“ディージー”が魔力を吸うのにもある程度の時間が掛かる。
 範囲内で魔導を行うと、魔法の為に身体の中から出した魔力が端から吸収されてしまう為、全く付け入る隙はないが、既に範囲外で完成した魔法ならば、魔力を吸収されて効果を失ってしまうまでには間がある。
 ならばその効果が失われてしまう前に、その魔法が“ディージー”に届けばいい。それが、カーエスが言った言葉である、「“速さ”の限界を突く」の意味だ。

 《一時の怪力》の効果は高い。その分持続する時間は少ない。しかし、ジェシカは焦らずにカーエスを狙う触手の動きを読む。そして、ジェシカの場所からカーエスの血によって打たれた印まで一直線に繋がる道が見える直前、ジェシカは仕上げの魔法を唱える。

「《電光石火》によりて我は瞬く早さを得んっ!」

 “直星突”!

 ジェシカは光のような速さで、触手の合間を一直線に走る。たまに触手ギリギリを掠めるが、彼女が驚く事はない。
 《電光石火》は速さとひきかえに、一度走り出したらコースの変更が出来ない。そのために、使う前に自分の進路を見極めなければならないのだが、その点、ジェシカはしっかりと訓練を積んでいる。間違いなく、カーエスの元に迄、触手に触れずにたどり着けるという確信があった。
 気がつけば目の前にカーエスのつけた印が見えた。それに向かって、ジェシカは腰だめに構えた槍を力に任せて突き出した。

 先ほど自分を吹き飛ばした、魔導兵器に備わっている物理防御障壁が展開されるが、魔法によって強化されたジェシカの槍の前には大した抵抗にはならず、あっさりとそれは突き破られた。
 魔導兵器特有の特殊合金で構成された“ディージー”の甲殻に、ジェシカの槍が吸い込まれて行く。
 ジェシカは槍を握る自分の腕に何らかの手ごたえを感じた。

 ふと気が付くと、自分とカーエスの周りから、触手達が避けようがないほど近付いてきていた。
 思わず、ジェシカが固唾を飲んだ時、カーエスの声が部屋に響く。

「防ぐな、返せ《弾きの壁》っ!」

 詠唱の終了と同時に、触手達は自分達を目前にぴたりと止まり、次の瞬間それぞれ元来た方向に弾き飛ばされてしまった。
 魔法の効果が現れた事に、ジェシカとカーエスは思わず顔を見合わせ、笑みを交わす。

「魔法が使えるんなら、こっちのモンやっ! 裁きよ、天より降りて《罪討つ落雷》となれっ!」

 カーエスの魔法によって、天井の方から雷が落ちてくる。《罪討つ落雷》の雷はそのまま、ジェシカが槍で穿った穴に吸い込まれるように命中した。
 そこで、小さな爆発が起こり、槍の太さと同じ大きさしかなかった穴が、人頭大にまで広げられる。
 それでもカーエスは手を休めない。

「この玉は内に炎を秘めし《爆発の玉》! その炎、我が敵に当たりし時、解き放たれん!」

 呪文の詠唱と共にカーエスの手の平に赤い光の玉が収まった。彼はそれをその穴に向かって放り投げる。
 それが“ディージー”に触れた瞬間、その手の平大の大きさからは想像出来ないくらいの大規模な爆発が起こった。

 爆炎の向こうに見える“ディージー”はほぼ全体の甲殻が剥げ、内部機器が剥き出しになっている。あちこちで煙が上がっているのが見え、明らかにほとんどの機能が失われている事が見て取れた。
 内部機器の中心からやや左寄りに淡く光る丸い石のような部品がある。配線などが全てこの部品に集まっているところを見ると、これが防衛用魔導兵器“ディージー”の心臓部なのだろう。

(つまり、あそこを砕けば全てが終わる)

 《飛躍》で“ディージー”の上方約七メートルあたりまで跳躍し、壊れかけている魔導兵器を見下ろしたジェシカは、槍をその“ディージー”の心臓目掛けて構えて、仕上げの魔法を唱えた。

「この場に在るもの縛るは《更なる重力》!」

 その魔法によって、彼女の落下速度が目に見えて上がる。彼女は《強力》で強化されている腕を限界まで引き、狙い定めたところに向かって槍の一撃を放った。

「“墜星突”っ!」

 槍の穂先が“ディージー”の心臓部を捕らえた。
 次の瞬間、その淡く光る石にヒビが入り、呆気無く形を崩して砕けた。

 着地したところに、カーエスが歩み寄ってきた。

「御苦労さん」
「貴様もな」

 形ばかりではあるが、労いの言葉を掛け合った後、二人並んで、完全に機能を止め、あちらこちらから煙を出している防衛用魔導兵器を眺める。

「まったく、ここまで手強いとは思わんかったで。独りやったら絶対倒せんかった」
「ああ……思わぬ時間を食ってしまった」と、ジェシカが懐から懐中時計を取り出す。

 その時計は今ちょうど桃の刻(午後一時半)を差したところだ。

「赤の刻(午後三時)まであと半刻(一時間半)。急がなくてはギリギリになってしまうな」

 二人は顔を見合わせて頷くと、“ディージー”の残骸の向こう、それが守っていた“忘却の間”に向けて足を踏み出した。

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